さんぽみちのちしつColumn

第6話 ~花崗岩はツンデレ?~

 朝日山地の峻嶺(しゅんれい)は「白亜紀」(約6500万年前)に地下深くでマグマが固まった花崗岩である。(注:県外では古生代の古い花崗岩もある)地下水を開発する者にとってこの花崗岩、不倶戴天の敵であり、硬くて掘りにくく、苦労して仕上げても水が出ないと云う踏んだり蹴ったりの結果となることが少なくない。ところがである、トンネル技術者に言わせると花崗岩は、水に恵まれた地下水の豊富な岩盤だと云う。この認識の違いはなんなのだろう?


花崗岩という岩石は造山運動によって大きく隆起し地表に表れている。造山運動というのはプレートの動きで地殻が圧迫され、シワが寄って盛り上がるような現象である。軟らかな岩盤では左右から圧迫されてもしなやかに地層がうねって力をかわす。(これを褶曲という)しかし花崗岩は強情なので、限界まで我慢した後、突如として大きな断層を伴って地盤が破断する。なので朝日山地などの隆起山脈は、山列の両側に幾本もの大きな断層を伴っている。
花崗岩は強靱なため細かな亀裂は入りにくく、代わりに断層などの大きな亀裂・裂け目が疎ら(まばら)に発達する。雨水などによる地下水涵養は岩盤表面からの浸透水が少なく、その分大きな亀裂面に地下水が集中して貯留する事になる。


このように、希に存在する急角度の亀裂面に鉛直な水井戸を掘削する場合、井戸の適切な深度で地下水を包蔵した亀裂に“遭遇”しないと水は得られない。ところがトンネルは山脈を横に貫く工事であるため、否応無く何ヶ所もの断層を貫く事になる。その中で地下水を多量に溜めた亀裂(断層)に当たると、突如として大出水の事故が起こる訳である。何と言うことはない、井戸とトンネルではこういった亀裂に遭遇する頻度と確率が違いすぎるのだ。


兵庫・六甲(~のおいしい水)、山梨・白州(南アルプスの~)に限らず、花崗岩地帯のわき水は非常に清冽で美味しいことでも有名である。我々にはツンツンと冷たい岩だが、自然の摂理の中では皆にやさしいうるおいも与えている。

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第5話 ~白岩楯と陣ヶ峰~

 寒河江市白岩に「楯」という地区があるのをご存じだろうか。もともと楯と云う地名は昔の城館を指し、これは当社の立地する「本楯」にも通じる。白岩の楯は、現在の白岩小学校の北西側、白岩主部を見下ろす高台にあり、江戸時代に「白岩城」があったとされている。この楯地区は平地が高さ40~50m程度の小山をぐるっと一回りした環状平地(ハット型地形)という極めてヘンテコな地形をしている。場所的には葉山から流れ下る実沢川の下流部で、すぐ南側は白岩市街地へ落ち込む崖となっている。何でこんな崖の上に珍妙なまあるい平地が形成されたのだろう?


 実はこの地形、寒河江川と支流(実沢川)の変遷と特徴ある地質構造によって生成した特殊な段丘だと思われる。最初(おそらく十数万年前)、小山の西~南側を流れていた実沢川が、本流の寒河江川の下刻(洗掘が進んで河床が下がる事)によって、より軟質な小山の北~東へと流路を変えた。そして次第に実沢川の侵食が進み、結果、周辺が崖の上の環状平地として残されたものと推察される。付近の地質は粗粒で軟らかく浸食されやすい地質(凝灰質砂岩)を主としているが、その中に、細粒で硬く浸食されにくい部分が帯状・島状に点在している。付近の実沢川の流路の蛇行具合を見れば大まかな地層の硬軟が見て取れる。つまり、河川はこの硬い部分を避けながら浸食していったため、このような変な地形が生成したのである。


 実は河川の下刻によって高台の平地が残存した地形は、寒河江川流域では珍しくない。代表例としては慈恩寺の西側に接する陣ヶ峰台地が挙げられる。陣ヶ峰も寒河江川岸に接した高い孤立した段丘であり、当初近傍を流れる田沢川下流の開析面であったものが、寒河江川の下刻とともに崖上にポッンと残されたものである。


 河川の流れはその流路周辺の地形・地質によって流転を繰り返す。障害物を乗り越えたりかわしながらもただひたすら大河を目指し流れ下る。そのひたむきさは人生の歩みにも似ている気がする。まさに「川の流れのように」である。

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第4話 ~断層の幅って~

 断層は地層が破断して食い違いができる現象であり、動き方には縦・横・斜め、いろんなタイプがある。東北を含めた東日本は、プレートの動きの関係で東西方向から常時強い圧縮力を受けている。そのためその歪みを開放すべく弱い部分がブツンと切れて、一方の地盤がもう片方の上にのし上がる“逆断層”となる。


 私の卒論の地、山梨県北杜市には、有名な糸魚川-静岡構造線(フォッサマグナの西側断層)が走っている。この断層、現地で見てもその幅や動きの方向が良くわからないほど規模がデカい。破砕帯(岩が砕けた地層)が延々と連なり、片側は八ヶ岳の裾野に消えている。つまり、断層は規模が大きくなればなるほど数多くのすべり面や破砕層を含み、単純な“断層”のイメージから遠のく。拙稿1回目に示したZ型に切れた断層の写真など、ごく小規模な断層だからこそ明瞭な構造が見て取れるのである。


 寒河江市街地には長岡山東側に明確な岩盤の消失ラインがあり、従来これを「寒河江断層」と呼んできた。現在、国が公表する断層マップでは市東部、ほなみ団地付近に活断層が示されている。(マックスバリュウ寒河江中央店の裏あたり)それでは既知の寒河江断層と、このほなみ団地の活断層は別物かと云うとそうでも無い。つまり、規模の大きな断層では、いま一番活動性の大きな部分が“活断層”と示されているだけで、断層の根っこは同一の“断層帯”である。断層の西端が長岡山あたりと云うだけで、東側の端は良くわかっていない。もはや寒河江市街地は断層の破砕帯の上に丸ごと乗っかっていると云っても過言ではないのである。


 今、“活断層がここにあるから学校や病院などの重要施設を別の場所に移転すべきだ”なんて論議がある。でも将来、必ずしも今わかっている活断層のラインで動くとは限らないし、そもそもいつ動くかも判らない。あまり気にしてもしょうがないと私は思うのだけれどね。

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第3話 ~川はなぜ曲がる?~

 寒い季節、湯の香漂う露天風呂といえば日本なら嫌いな人はいないだろう。山形県は温泉に恵まれ全市町村に豊かな温泉が湧き出ている。今回はその温泉のふしぎについてひもとこう。


温泉の元となる熱源は、明確な区分は難しいが3種類あるとされ、それぞれ(1)火山熱型, (2) 大深度型,(3)プレート熱型と呼ぶ。「火山熱型」は蔵王温泉などの火山性温泉ばかりで無く、赤湯や東根など、比較的浅部で高温の湯が得られる温泉はこれに含まれる。「大深度型」は、地下増温率により加温された温泉で当社の髙田温泉をはじめ、近年開発された温泉の大半はこれに属する。「プレート熱型」は、兵庫県の有馬温泉が代表で、プレート境界の摩擦熱が熱源だという。


大深度型に関連する「地下増温率」は、日本では平均3℃/100mだというが、寒河江近郊にはそれを遙かに超える増温率の地区がある事が徐々に明らかになってきた。一つは市内元町〜八幡町にかけての一帯で、これは以前から知られていた。二つ目は平野山の東側、三つ目が白岩の東部地区であり、それぞれ浅い井戸で20℃を越える微温水を得ている。浅部で急激な温度上昇が見られると云うことは、地中深くの熱水が地表まで上昇する連続した“隙間”が必要なわけで、拙稿で述べてきた“断層”に関連していると考えるのが理解しやすい。白岩東部地区については初出であるが、寒河江川の屈曲部〜谷沢いこいの森〜左沢の最上川蛇行地帯に抜ける明確な地形の線状模様(リニアメント)が存在する。おそらくこれも断層に起因したものだろう。左沢温泉(通称、てんや)でも28℃の微温湯を得ており、断層に近接しているという素養はある。


谷沢いこいの森に温泉の源泉を掘って、平野山の山頂にホテルを造れば、月山〜朝日を一望できる大パノラマと夜は寒河江・山形盆地の夜景が望める温泉リゾート施設になるのだが……どなたか開発に挑戦してみませんか?

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第2話 ~平野山のふしぎ~

 平野山は寒河江市の西部にあり、その名が示すとおり平べったい丘陵地で、東側斜面一帯がなだらかなさくらんぼ畑となっている。実はこのダラッとした斜面、河岸段丘に分類されており、かつて平野山がほぼ水没する高さまで河川の水位があった事になる。だが本当にそうか?


 平野山の形を考えてみよう。北側を寒河江川、南側を最上川によって浸食された丘陵であるが、その東側がストンと直線状に無くなって、現在JR左沢線や国道287号がその山裾を真っ直ぐ走っている。上下両方から浸食された丘陵地であればいわゆる紡錘形の尖ったしっぽが下流側に残るはずであるが、平野山にはそれが無い。また、通常の河岸段丘は河川の浸食と共に、河川沿いに何段ものテラス状の段々を造っていくものだが、平野山のそれはなだらかな単斜面であり、ちっとも段丘らしく無い。


 実はこの平野山、長岡山と同様にその東側に活断層を伴う隆起丘陵であると私は見る。“活断層”とは数十万年前より現在までの近年、活動した形跡のある断層の事であり、今後とも変位する恐れがあるものを云う。
長岡山を含む山形盆地西縁断層帯の変位速度は1.4m/千年、活動する間隔は平均1.9千年とされている。従って、活動期間を50万年とすればその変位量は700mにも及ぶ。平野山もこれと同程度とすれば、平野山の隆起と東側(中央工業団地側)の沈降面の高低差が数百mあってもなんら不思議は無い。実際は平野山の頂部だけがポコンと突き出た古代の寒河江川扇状地が、約2000年毎に、河川の堆積物を乗っけたまま、ズリッズリッと隆起して、なだらかな段丘斜面を生成し、山稜の北と南は河川の浸食を受けて急になったのだろうと考える。


 平野山に限らず寒河江市周辺には断層が影響したとみられる地形が数多い。既知の断層のみならず隠れた断層による大地震がいつどこで発生してもおかしくは無い。

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第1話 ~断層と地形~

 写真は山形自動車道工事に伴う高瀬山の法面に表れた断層露頭であり、10mほどの高さの法面の中央部に明瞭な逆Z型の地層の食い違いが表れている。


 山形盆地の西側には日本でもかなり活動性の高い活断層が潜んでおり、写真の断層露頭もこれに関連するものの一つとみられる。寒河江地区ではこれに最上川沿いを北上する長井-左沢断層が合わさるため、ちょっとした断層の巣のような状態になっていて、三紀層(岩)の出現深度の凸凹がすさまじい。今の寒河江は、この凸凹の岩盤を河川の土砂が埋めて、人がなんとか住めるような地形になっているだけに過ぎない。


 弊社の技術部長を務められていた故・清水貞雄氏は「長岡山はなぁ、平野山がせり出してきて足下が陥没し、シーソーのように逆に跳ね上がったんだよ」と話されていた事を思い出す。長岡山は非常に軟質な凝灰岩類が多く、寒河江川にさらされながらこの脆弱な丘が残った要因は氏が言われるような活発な隆起運動でもなければ説明しにくい。ちなみに東根の若木山や天童の舞鶴山などは、同じ市街地に接する丘陵地でもあちらは小型の火山であり、成因は単純で地形も単調である。長岡山や高瀬山のように断層に起因する丘は、眺める方向によって一つ一つ違った表情を見せ、その麓の地形や地質にも複雑な影響を与えている。


 弊社業務において地形の変化や地表の地質により地下構造を類推する作業は私の仕事の一つの柱でもあるが、寒河江地区の場合、これにさく井や地質調査などによる豊富な地質資料が加わる。タイムマシンがない今、確かめようはないが、こうやって長岡山が隆起して、ここがドガンと落ち込み、段差が生じて側方浸食を受けて・・・などと、一大スペクタクルを脳裏に3D連想して一人ニンマリ・ワクワクとする私は、何か変なのかも?

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