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第31話 ~洪水のあとで~

2022年12月09日(金) 

 大江町左沢。ここはかつて最上川の舟運が盛んであった頃、大型の艜(ひらた)舟(ぶね)と小型の小鵜飼(こうかい)舟(ぶね)の荷の積替えを行う中継地であった。そのため川港の百目木(どめき)地区には米沢藩の舟陣屋が置かれ、米倉や塩倉などが幾つも並び、また、町内には料理屋や遊郭までもが軒を連ね活況を呈したそうだ。時が移ろい、舟運や港町としての賑わいは廃れたが、水難者の慰霊のために始まったと云う灯籠流しと花火大会が今も左沢の夏の夜を彩っている。


 付図に周辺の地質図を、加えて本号表紙に百目木地区の最上川の写真を載せた。最上川は白鷹町菖蒲からこの左沢までを五百川渓谷と称し、蛇行しつつ北上しているが、この百目木地区で南東側へと大きく舵を切りほぼ反転している。なんでこんなヘアピンカーブのような川筋になったのか、そして百目木地区はどうして川港として栄えたのだろうか。


 東北地方の地盤は常に東西の強い圧縮力を受けている。そのため比較的岩盤の若い(弱い)左沢付近では地層が波打ったように変形しており、地質図上でも赤や青線で示した褶曲軸が南北に整然と並んでいる。また、更に変位が進んで生じた断層が付近に何本も潜在している事が知られている。それらの断層には東西方向の力①だけで無く、南から北上する力②も作用している。大雑把に言えば白鷹山を含む南方の地盤が月山・葉山を擁する北側の地盤と衝突している状態で、当地に歪みが集中する形になった。


 地質図にカタカナの「ト」のような記号が示されている。長棒は走向と言い、地層面の等高線方向を示し、短棒と数値は地層の傾斜方向と傾斜角を表している。百目木周辺の走向傾斜は測る場所毎にバラバラで一定しない。また、当地のように年代の若い堆積岩は水平に近い地層面である事が多いものだがこのあたりでは勾配がかなり大きくなっている。これらは地盤が大きな変位作用を受けてきた事を示唆している。


 最上川は地形・地質の拘束を受けつつ五百川渓谷を北上して当地にたどり着いた。それまで北上するしかなかった流れが、歪みが溜まって岩が破砕した百目木周辺でようやく東に転流する事ができたのだ。但し、あまりに急に転回したためと転流部の河床が岩盤で浸食が進まなかったために、その上流で川幅の広い穏やかな瀞(とろ)となり、良港の条件が揃ったのである。


 百目木地区の最上川は別名「柏(かしわ)瀞(どろ)」とも呼ばれている。表紙の写真を見てほしい。斜めに傾いだ地層が川面に写って柏葉の葉脈のようにも見える。実はこの光景、百年ほど前の古い記録にはあったのだがその後崖を草木が覆って隠れ、つい先頃まで全く見えなくなっていた。それが今年8月の洪水で草木がはぎ取られ、一世紀ぶりにその姿を現したのだ。地元民の私もはじめて見る柏瀞の光景。さながら大きな被害をもたらした災害の僅かな僥倖(ぎょうこう)、絵本の「洪水のあとで」にも通ずるようだ。

 

 

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