さんぽみちのちしつColumn

第12話 ~Another World~

2021年03月31日(水) 

 地質調査の下見や踏査で山の中に入ると、錆び付いた鉄骨や何に使われたか分からないコンクリート躯体など、明らかに人工的な構造物に出くわすことがある。時にそれらの周辺に藪に埋もれるように家屋の残骸や石段、石碑・墓石など、人々が生活していたと思しき痕跡が残されている事もある。人々から遺棄されたそれらを「遺構」と呼ぶが、直に目の当たりにすると今立っているその空間だけが忽然と外界から切り離されたような寂しさと、一抹の不安感を覚えるものだ。


 写真は昭和11年に開通した栗子隧道の福島県側坑門である。訪れる人も無い山の中に今でもひっそりと佇んでいる。米沢から福島へと通じる街道は、明治初期まではJR路線の近くを通っていた板谷街道が使われていた。しかし道が狭隘で物資の大量輸送ができず、冬季は通れないなど街道としてはいささか情けない状態であったため、これを憂えた当時の鬼県令・三島通庸の発令によって栗子隧道を含む新街道・萬世大路(ばんせいたいろ)が整備されたのである。ちなみに「萬世大路」の銘は東北巡幸の際立ち寄った明治天皇によるものと伝えられている。写真にある栗子隧道は、明治期に建設された初代の栗子山隧道を拡幅整備した二代目であり、西栗子・東栗子に分かれた国道13号線のトンネルが三代目、東北中央道の栗子トンネルが四代目となる。明治期の初代隧道は全長860m余で、当時日本最長を誇った。付近の地質はやや古い時代の流紋岩が主体で、地質図上の表記では岩体・岩石共に3Cの最高ランクの硬さである。山形県側には初代隧道の坑口が残っているが、その内部は石鑿(いしのみ)で削られた跡がが生々しく残り、いびつなゴツゴツとした岩肌ががあらわになっていると云う。人力だけで硬岩相手に日本最長の隧道を掘削した、往時の技術者(職人)の壮絶とも云える奮闘の様子が目に浮かぶようである。


 萬世大路の整備と共に宿場町として大瀧・大平(福島側)川越石(山形側)などの集落が栄えた。大瀧宿の町並みは半ば朽ちつつ今も旧道沿いに残るが、ほか二村はどこに民家があったのかさえ定かでない。栄枯盛衰を極め、人々が行き交う住民の確かな生活があった彼の地も、今では太古からの静寂に戻っている。当(まさ)に兵(つわもの)どもが夢の跡である。
ところで平塩の塩泉をはじめとする山の塩分はいったいどこから供給されているのだろうか?。今の地盤を形作る過程では、かつて付近一帯が海だった時代(中新世中期)があり、それが徐々に隆起や新たな堆積物の供給により浅くなり(中新世後期)、入り海や湖の時代(鮮新世)と変化してきている。地層の生成と共に地下に貯留・封入したままになっている海水を「化石海水」と呼び、これが塩水泉や多くの温泉成分の元となっている。化石海水はヨーロッパや中南米などの降雨の少ない非火山地域では、徐々に乾燥濃縮し岩塩となる。しかし降水の多い日本では浸透水も多いため塩は液体の間隙水としてのみ存在する。日本の塩泉の濃度は約1.0%前後の事が多く、くだんの東北クリーン開発様の井戸で最大0.6%程度、寒河江市塩水の渡辺外科胃腸科医院様の井戸水で約0.8%、小塩の農水省の井戸で約1.0%、弊社の新髙田温泉で塩分が約1.3%である。その他目安として海水がおよそ3.5%、濃口醤油が約14%相当となる。平塩塩泉の塩分濃度は塩化物総量で計算上約2.5%に達し、近在の塩泉の濃度としては飛び抜けて高い。例外として兵庫県の有馬温泉はプレート境界に取り込まれた塩水が湧き出す特殊な温泉であって、塩分濃度は実に6%に達し日本一濃い。(ホテルの値段も高い‥)そんな温泉に浸かると漬け物になりそうで血圧の高い私はいらぬ心配をしてしまう。まあ、どうせ泊まりに行ける機会は一生無いであろうから全くの杞憂なんだが。

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